サポート組合員 李建志
私のつとめている大学で、学生たちを集めてボランティアバスを出すということになった。正確にいうと、大学ではなく学部でバスをチャーターし、希望者を募って岩手県野田村に行った。すでに二回、このバスは出ている。
しかし、このバスの運行経路を見て、私は思わず眉をひそめた。西宮市から出発するバスは、同行するボランティア団体のバスとともに、二台連なって大阪府から京都、滋賀を通って東北を目指すのだが、東名高速にはのらず、滋賀県を北上して北陸を経て、岩手県へと向かうルートになっているからだ。
たしかに学生たちの健康問題もあるだろうし、ましてやそれを学校が運営しているとすれば、かりにボランティアだとしても責任問題になりえるものは排除したがる、ということはわかる。しかし、これでは福島差別に大学がのってしまうという愚をおかしたことにもなるかもしれない。
別の機会に、私は宮城県を訪れた。宮城と山形の県境近くにある蔵王町は、福島にも近い。ここには戦後にパラオから帰還したひとびとが開拓村をつくっていて、私はこの村に関する調査をしていたからだ。とても好意的な村人から、パラオのことをよく知っているという福島市在住のご親類を紹介していただき、車で福島まで連れて行っていただいた。福島県にはいると、沿道には果樹園が多くあるのだが、昨年まで車が通れないほどのお客さんが来ていたとは思えないほど、それこそ閑古鳥がなく状態だった。
まっ赤に熟れたモモは、完熟のまま誰にもぎられることもなく下に落ちている。果樹園前の簡易販売店では、ひとやま500円といった安値でモモは投げ売りされ、それでもまったく売れない状態のようだ。聞けばモモの前はサクランボ、そしてモモ、ブドウとすべてこの調子で、このままナシもカキも売れないのであろうとのこと。
広島の大学に七年半いた経験でいえば、被曝の問題はまったく過去のものではない。今も被曝二世、三世は結婚差別などに直面し、苦労しているからだ。同じことは水俣でも感じた。涙金をもらって和解した住民は、日本チッソや行政から仕事をもらってはいるものの、その二世、三世の結婚差別はやまない。
現に、私が接した水俣の博物館で土産物を売る女性は、自分は水俣病の問題が発生したあとに生まれたが、この身体には爆弾があるのと同じで、いつ破裂してもおかしくない、とごく淡々といっていた。辛そうな顔ひとつせずいうこのことばは、かえって重くのしかかった。
蛮勇ふるっていえば、ボランティアさえ避けて通る福島の問題は、はからずも日本の危機管理体制やボランティア活動を志す「善意の市民」のほころびをうつしだしている。
そしてこの福島をめぐる問題をつくりだしてしまったのは震災ではなく、基礎研究にほとんど関心を示さないまま原発を導入、運営しつづけた日本社会にあるし、その政治と行政を圧倒的、熱狂的に支持し続けた戦後日本社会すべてにこそ帰せられる。もちろん、原発推進派の政治家たちに圧倒的な得票数を与えつづけてきた福島県民そのものにさえも。
では原発をやめればいいのだろうか。私は、その単純であり、かつ唯一の解であるかのごときこの考え方にはのれない。性急にこたえを出すことは、別の意味でリスクを背負うことになると思うからだ。
ただし、これだけはいえるだろう。もしも原発をつづけるのなら、基礎科学の研究予算をいままでとはくらべものにならないほど出す必要があるし、研究者を養成しなければならない。
そしてもし原発をやめるのなら、その責任は政府や政治家、官僚、電気会社にあるのではなく、日本社会全体にあるという当たり前のことを引き受けなければならないということだ。東電のトップに土下座をさせるような問題ではないのだ。
補 遺
韓国では、今回の震災のあと、日本を助けようという機運が高まった。しかし、それもつかの間、政府発表の曖昧さに腹を立て、日本は支援できないという議論が噴出した。いまは日本を助けようという議論と、日本は支援できないという議論が半々といったところか。いや、支援できないという議論の方が強いかもしれない。
しかし、当然のことだが目の前で苦しんでいるひとがいるにもかかわらず「政府が信用できない」ということを理由に支援しないといことは、震災をテレビの向こうの問題として、まるでバーチャルにしか考えていない証拠ではないか。しかもそこには国境まで持ち出されている。この吐き気のする「韓国民族主義の議論」に私は違和感をおぼえつづけてきた。九月、今度は福島で、他の二県とくらべても遅々として進まないといわれるガレキの撤去をしに、私は福島に向かおう。
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