解雇規制の緩和・解雇の自由化論者は解雇の自由化にメリットがある、と力説する。
(その1)解雇が容易になると、いつでも転職できるようになる。
(その2)解雇が容易になると非正規社員が減って正社員が増える。
(その3)転職がしやすくなると、引きとめるために待遇がよくなる。
(その4)解雇が自由化されると全体として待遇が良くなる。
(その5)育児休業を取るよりも辞めて再就職した方がいいとなる。
(その5)解雇の金銭解決で規制強化の恩恵を受けることができる。
(その6)金銭保証の解雇で攻めのリストラが可能になる。
(その7)解雇の自由化で正規・非正規の格差が解消できる。
(その8)解雇を自由化すれば企業は気楽に人を雇うから雇用が拡大する。
御用学者や自民政治家は「解雇が自由化すれば何とメリットが多いことか!」と言うのだが、そのあまりのインチキ理論に呆れる。小泉進次郎は解雇の自由化で「成長産業への労働移動を後押しする」ともっともらしく主張する。今のままでも賃金を上げれば、労働力はいくらでも移動するのである。彼らは要するに賃金が下がるようにしたいだけなのだ。
竹中平蔵は「正社員は解雇が困難だから企業に負担がかかる。だから首切りを自由化する。」正社員は負担がかかる、だから非正規を増やしてしまった。竹中は「正規・非正規関係なく全員が雇用保険、そして年金に入れるという制度に収れんしていかなければならない。」と言う。ようするに解雇を自由にすれば全労働者が社会保険や年金に入れる低賃金の「正社員」(=社会全体のブラック化)になれる、ということなのだ。
解雇の自由化・金銭解決制度が入ると確かにメリットは多い、それは全て個別経営者のメリットである。解雇が自由になると労働者の社会的立場は一層弱くなり、賃金は傾向的に低下を続けることになるであろう。事実1992年の非正規社員数は958万人であった、正規雇用の社員は3705万人であった。
これが2015年には非正規は1953万人に増えた。非正規社員は1000万人増え、正規社員は500万人減少した。非正規が労働者の4割近くを占め、日本の労働賃金は傾向的に下がり続け、国民経済は縮小(=デフレ)を続けた、結果家族総働きになりつつある。
解雇の自由化で、賃金が上がったり、正社員が増えるとか、転職しやすくなるというのは全てうそである。よくも出鱈目をさもメリットがあるかのようにだまして、解雇の金銭解決や解雇の自由化をすすめる狙いは、全労働者の待遇面での「非正規化」すなわち社会全体のブラック化を進めることでしかないのである。
現在、厚労省検討会で解雇の金銭解決制度が検討されているが、大企業はリストラの時に現在30~40カ月分の退職上積み金を出しているので安くしたい。しかし中小企業は嫌がらせで自己退職に追い込むので、例え100万円でも金銭解決には反対なのである。日本の経営者はアメリカの解雇の自由化で搾取率を高めたいのであるが、それをやれば、やるほど国民経済は縮小再生産のサイクルを早めることになる。
日本の経営者・財界は労働者の賃金を自分たちの利潤を減らすものと、一面的にしか認識できていない。重要なのは、賃金部分は最終消費としての個人消費という側面があり、国民経済の拡大再生産には、個人消費部分の継続的拡大が不可欠だと理解する事なのである。つまり国民経済レベルでの政策は、個別資本家の目先の利益から決別する思考が必要なのである。間違った思考方法が日本経済の低迷の原因なのだ。
GHQの戦後労働改革は、強い労組を誘導することで日本経済の急速な復興を可能にした。しかし、それも労組の家畜化で資本主義の拡大再生産のための継続的賃上げは阻害された。経済成長には強い労組が不可欠だという、戦後労働改革の経済成長に果たす意義を、日本の経済学者と政治家は学ぶべきである。労働者と資本家は「対立面の統一の関係にある」したがって、解雇の規制緩和による労働条件の劣悪化は、資本主義の経済成長を阻害することを理解すべきである。
マルクス経済学を日本の大学から一掃したことの付けが、日本経済に回ってきていることを指摘しなければならない。
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