ムズラックル・ハリトさんというトルコ人の日本語教師が、大阪大学大学院博士課程で勉強されている。
ハリトさんは、日本文化の笑いについて考察するかたわら、「我楽亭ハリト(わらっていはりと)」の芸名で学生落語家としても活躍中である。
ハリトさんのような外国の文化人は、日本の文化について、日本人の考えつかない独自の発想をする。例えばドナルド・キーン博士はたいていの日本人がそこまで買っていなかった近松門左衛門についての評価を世界的に高めた。
ハリトさんによれば、落語のような笑いの芸能は世界になく、例外的にトルコには昔あったと言う。そもそも日本人が笑いに理解のある国民とは世界中は思っていないとのことであるが、ハリトさんはそれが大阪独特の文化であるとも分かっている。阪大には、米国のスペンスさんという落語家もいる。
ハリトさんによると、日本の笑いは、演者が客と一緒に笑っても構わないという点で変わっているという。その代表は、最近では桂枝雀、以前では中田ダイマル・ラケットや藤山寛美である。日本以外の国では演者が笑うと非難され白けるそうである。この理由は大変難しいとのことである。
そして、それを追求した仮説として、「『室町時代に革命的に発達した日本の新興階級の畳敷きの座敷における一座仲間の座の集いの文化』こそが、現代までの日本の文化の源流である。」という考えにようやく辿り着いてきたそうである。例えば、連歌・俳諧・茶の湯・能・狂言などはその典型であるが、落語はその中の俳諧に近いのではないかというのである。俳諧は大喜利に似て、お題に対し皆がリレー式に続ける遊びで、必ず笑いを伴っていたようである。但し、松尾芭蕉がそれを高級芸術にしたのである。井原西鶴は時代の分岐点で、俳諧から、小説ともコントとも落語ともつかないような面白い作品を弟子と一緒に残しているので、ひょっとすると落語家の元祖ではないかと推測されている。
このような話を落語通の人たちと議論されているとは、日本の笑いも国際的になってきたものである。
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