千葉県野田市の小学4年生、栗原心愛さんの一連の事件。繰り返し目にする報道に怒りと哀しみがこみ上げてくる。
この国は何度同じ失敗を繰り返し、尊い命を見殺しにするのか。児童相談所も、教育委員会も、学校も、虐待する父親や母親の主張を鵜呑みにし、言いなりになった。
学校を信じ、最後の頼みの綱だと必死で書いたアンケート。「お父さんにぼう力を受けています。夜中に起こされたり、起きているときにけられたりたたかれたりされています。先生、どうにかできませんか。」何度見ても涙がこみ上げてくる。
子どもというのは、多く、どのような親であれ、親というものは絶対的な存在で、大好きな存在である。その子どもから、アンケートでこのような訴えが出たのなら、それは『異常な事態』『切迫した事態』ととらえるのが普通であろう。
こんな緊急事態のSOSを被害児童が勇気を振り絞り発信したのに、それを無下にするどころか、秘密厳守を前提に行われた筈のアンケート用紙を、こともあろうに、虐待を受けていると被害児童が訴えている、当事者の親に手渡してしまったというのである。
子ども達はこれから一体何を信じ、誰を信じれば良いのか?。頼れるべく両親が頼れない子ども達は一体何処に相談すれば自らの身を守れるのか?。今回の事件は、勿論、虐待を繰り返していた両親が諸悪の根源である事は間違いない。しかし、それを知りつつ、放置し、無責任な対応を繰り返した、児童相談所、教育委員会、学校の責任は免れない。
児童相談所の所長が、心愛さんが、一時保護の施設内で明るそうにしていた事から保護レベルを引き下げた、と説明している。何とも御粗末な判断である。
複雑な家庭環境で育った子どもというのは、ある部分、我慢するということが日常となっている事もあり、大人びていたり、わがままや弱音を言わない、言えない子どもが多い。そんな事さえ理解出来ない職員が、ただ『元気そうに楽しそうに食事をしていたから保護レベルを下げた』などと判断したとは、全くもって言語道断である。
心愛さんは、一時でも、保護施設で安心を得られていたのである。子どもの、『声に出来ない心の声』を拾えない人間に、子どもを教え、守る職に就いてもらっては困る。児童相談所、教育委員会、学校含め、杜撰な対応を行い、『救えた筈の尊い輝く命』をみすみす死に追いやった関係機関にも厳重なる処罰が下される事を切望する。
SOSを発した学校にも裏切られ、本来なら自分の命に代えても子どもを守らなけらればならない筈の実の母親にも見放され、実の父親から虐待を受け続け、力尽き、孤独に息絶えた心愛さんの『絶望』を思うと心臓がえぐられる。今度生まれてくる時は、優しいお父さん、お母さんの所に生まれて来れますようにと、全ての神様に深く祈りたい。
こんなおばちゃんの所で良かったら、おばちゃん家の末っ子として生まれて来て欲しいとさえ思う。決して裕福ではないけれど、今世で与えてもらえなかった両親の愛情を、100倍、1000倍にして、無限の愛で包み、いっぱい抱きしめてあげたいと思う。そう思うのは私だけではないだろう。
もう二度とこのような悲しい事件を繰り返してはならない。これは私達全ての大人が、早急に取り組むべき重大な課題である。
スポンサーサイト