私の解雇の件でお世話になったユニオンの組合員Aさんの労働審判が地方自治体で開かれ、私はそちらの公聴に行ってまいりました。
少し遅れて部屋の扉を開けると、地労委に向かって大きな声で話している角野委員長とAさんが真近に見えました。Aさんは西宮の上ヶ原病院に勤めていた看護師さんです。病院から不当な扱いを受け、それを覆して資格に見合った待遇を受けたいとユニオンにいらっしゃいました。
昼休憩でAさんと少ししゃべりました。Aさんは公聴を「上ヶ原病院側の人は本当のことを言わないので、気分が悪くなるかもしれない」と私を気遣ってくれました。
その言葉を聞いて私は自分自身の件を思い出しました。労基に行き事情を話したところ、調査官が私が勤めていた会社を調査してくれました。
しかし調査の結果、作られた資料は見ただけでイヤになるような代物でした。会社の人は見ていたのに真実を言ってくれませんでした。
事実ではないことが沢山かいてありました。言い返したくてもできず、少し読んでは寝込んでしまうほどのショックを受けました。
私が甘かったのでしょうが…私にとって労基の調査はなんにもなりませんでした。嫌な思いをしただけでした。
私の場合は書面でしたが、Aさんはかつての上司、管理職が自分についてあることないこと地労委に言うのを目の当たりにして、つらかっただろうと思います。
上ヶ原病院側の証人・S部長が角野委員長から質問された時、いったん「ちがいます!」と語気を荒げた後、ニッと微笑んだのを見て、なぜか私はゾッとしてしまいました。
地労委の方々は柔らかな物腰で公平に接してくださっていましたが、上ヶ原病院側がAさんについて「指導が上手くいかなかった」と言うと、それ以上追求しませんでした。
地労委の先生方はその説明で納得しているように私には思えました。しかし上司あるいは管理職ならば部下への指導が上手くいかないままで放置するのは怠慢ではないか? と思うのです。
指導者を替える、指導法を変える、物の配置を変えたり整理したり具体的対策はなされたのか? 地労委には是非そこを上ヶ原病院側に指摘してほしかったのですが…
Aさんは上ヶ原病院で前職で未消化に終わった研修を受けたいと思っていましたが、上ヶ原病院はAさんに研修を受けさせる気はなかったようです。
Aさんは望んだ研修を満足に受けることが出来ず、低い待遇のまま長期間放置されることになってしまいました。Aさんを可哀想だと思う人が上ヶ原病院の中にいたとユニオン側の証人が証言しました。
しかし、その人たちはどちらかというとおとなしい人たちだったそうです。ユニオンがAさんの声を代弁し、雇用者である上ヶ原病院とAさんの待遇改善について交渉しました。
Aさんが上ヶ原に対して示した要望は真面目な気持ちから生まれたもので、その思いは共感できます。Aさんのような人が職場で排斥され、孤立させられていた状況を考えると、胸が痛みます。
以前の私は地道な日の当たらない、人が嫌がるような作業をすることにためらいはありませんでした。むしろ買ってでていました。
すすんでやり、感謝の気持ちを誰からも示されなくても、そうできる自分に自分で満足できていました。満ち足りた気持ちで生きてきました。
今、かつての自分を思い出して滑稽だとすら思える時があります。
私は年なので、そうしたものだと割り切って生きていくつもりですが、若い人が就職してすぐに、そのような気持ちを持ってしまうのが当たり前の社会が今の日本だとしたら、とても怖いことだと思います。
今の日本は真面目でおとなしい労働者に厳しい環境にあります。新世紀ユニオンは一人からでも入ることが出来ます。会社との交渉時もユニオンは私に誠実な態度を貫いてくれました。
私にとってユニオンは助けでした。これからもいろんな労働者にとってそうした存在であり続けることを心から願います。
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