硫黄島をめぐる日米の攻防戦は、それまでの南洋諸島をめぐる攻防戦とは根本的にちがう戦いとなった。それは第1に硫黄島攻防戦が最初の日本領土をめぐる戦いであったこと、つまりそれまでの占領地の防衛ではなく祖国の領土防衛の戦いであったこと。第2に日本軍の司令官の栗林忠道中将が、それまでの南方の島々の防衛線とちがって、水際防衛を放棄し、米軍の上陸をゆるした上で、敵に最大限の“出血”を強いる戦術を取ったことである。
このための硫黄島守備隊(小笠原兵団約2万1千名)は、来る日も来る日も穴掘りばかり続け、米軍上陸時には何段もの地下陣地が作られ、文字どおり「備えてのち闘う」が栗林中将の戦術の柱をなしていた。
アメリカ駐在武官であった栗林中将は、アメリカの世論に着目して、米兵に最大限の出血を強いる戦術を取ったのである。
クリント・イーストウッド監督は、この栗林役にラストサムライの渡辺謙を起用し成功している。
彼はこの映画で戦争がいかに凄惨で、個人のそれぞれの幸せをいかに無慈悲に踏みにじるかを“兵士たちの目を通して”描いている。
大戦中、この硫黄島攻防戦は、栗林の戦術が当り、制空権も制海権もない中で米兵の死傷者が日本兵の死傷者を上回る唯一の戦場となる。
当初米軍は硫黄島を3日で占領できるともくろんでいたが実際には1ヵ月以上戦いは続くことになる。
クリント・イーストウッドは「政治家達はあまりにも多くの人々を殺しすぎる」と戦争を批判する反戦派映画監督である。彼はアメリカ側から見た硫黄島の戦い「父親たちの星条旗」を製作する中で、日本軍守備隊の「敢闘」を知り、日本側からの硫黄島の闘いを製作することになる。
彼はこの二つの映画で“祖国のために戦い、亡くなった多くの人々”がいかに戦争の犠牲者であったかを描いている。
重要なことは、栗林中将以下の日本軍将兵の命を懸けた「敢闘」が二重の意味で“無駄死に”であったということである。
当時のアメリカ政府は、硫黄島占領における戦死者の多さに驚愕し、日本に対する国際法違反の原子爆弾の使用を決意するにいたるのである。
のちのち、アメリカ政府が「原爆投下は60万人のアメリカ人将兵の命を救うためだった」と広島と長崎への原爆投下を正当化するのは、硫黄島での戦死者数を日本本土占領時の推定戦死者数の積算根拠にしていたのである。
クリント・イーストウッドには、この点にまで踏み込んで描いてほしかったという気がする。
しかし、自国がイラクで戦争している最中に、反戦映画を製作する映画監督がいるところがアメリカらしいといえる。
クリント・イーストウッドに拍手を送りたい!
スポンサーサイト