労働裁判を経験した人なら誰もが裁判官の和解強要に直面し、困惑することになる。民事裁判は裁判官の心証を悪くすると不利な判決になるのではと考えるので、どうしても和解を断りきれないのである。中には経営側に買収されているのではないかと思える例もある。
労働者は何のために裁判を闘うのか?金が欲しいからではなく不当な解雇を証明し雇用を守りたいからであり、解雇理由に並べられた不当なデタラメの理由を証明したいからである。つまり判決を求めて裁判に訴えるのである。
ところが裁判官は世間知らずであるため、また事案の解決の件数をこなすため必要以上に和解を強要する。弁護士もまた和解で手っ取り早く解決金の成功報酬を手にするため、依頼人の意向を無視して退職を認めた上での金銭解決を強要することになる。
ところが今日のような世界同時不況の中では正社員の仕事は皆無で、労働者は金銭解決を強要されたばかりにワーキングプア(働く貧困層)に転落する例も見られる。つまり金銭解決を裁判官や弁護士に強要された結果、労働者の内心に深刻な恨みを残し、ユニオンを脱退する例も出ているのである。
ワーキングプアに転落したこれらの労働者が逆恨みし、事件を起こすのではと心配しなければならないほど和解の押し付けに怒りを持っている事を裁判官や弁護士は自覚した方がよい。
裁判所とは、そもそも合法か非合法かを判決で示すのが社会的役割なのである。ところが実際には原告が望んでもいない金銭解決を強要する例があまりにも多いのである。
後に恨みを残すような和解の押し付けは絶対に良くない。金さえ出せば労働者を職場から追放できるのであれば企業に違法解雇を促すだけとなり得るのである。
違法な解雇には判決を下して職場への復帰を保障する正義の裁判であるべきだ。また違法解雇にはやり得ということのないよう労働裁判に懲罰的慰謝料を導入するべきだ。原状回復主義の未払い賃金の支給だけでは解雇は経営者にとってやり得となっているからである。
そもそも和解が可能なら団体交渉で解決できる。経営者の反労組感情があるから、やむなく裁判の判決を求めて訴を提起するのである。つまり対立が深刻化しているから裁判になっているのである。
ところが裁判官が無闇矢鱈に和解を提起するため、これが原因で裁判の長期化になっているほどである。双方が判決を求めているのに裁判官だけが和解を追及する姿は異様である。
裁判官は判決を出すことで法律的に白黒を決すべきことを本務とするべきだ。現実には判決を出したがらない、和解ばかり追求する裁判官が多すぎるのである。
司法の反省を求めたい!
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