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STAP細胞と小保方氏 -元研究者として-

1.はじめに

 私は元研究者である。

 「元」とつけざるを得ないのが残念であるが、私は長年勤めた国立大学法人医学部系研究室で教官らからパワハラを受け、それを大学内の相談機関に訴えたところ、雇い止めをうけて研究職を失った。その後、民事裁判で被告教官らから金員を得たが、失った研究員の身分を取り戻すことはできなかった。

 小保方氏の報道について、同じ女性であること、以前の私と同じ任期制の立場であることから、氏の立場にかつてのわが身を重ねて応援を試みていたのだが、詳細が報道されるにしたがってその気持ちは失われていった。

 報道当初における理研の遠まわしであいまいな調査、追及の姿勢は、かつて私が裁判で闘った国立大学法人の気質そのままであり、不都合な事実の責任をじわじわと個人に負わせていく体質もよく似ていた。ここまでの小保方氏の姿はまぎれもなく哀れな犠牲者であったが、徐々に小保方氏本人に対する疑問が生じた。

 そもそも氏は本当に「研究者」であるのか。

2.誰が「悪い」のか

 この件での問題は、何よりもNature論文の信用性である(「ねつ造」にあたるか否かは別問題とする)。

 論文とは明確な目的のもとで実験を行ってそこから得られた事実を示し、成果を述べたものである。報道では主に小保方氏によるデータの切り貼り、博士論文と重複した蛍光画像の提示、大幅なコピー&ペーストが指摘された。

 私見であるが、論文のうち、実験方法の説明におけるコピー&ペーストは大した問題とは思えない。同一の分野の論文では導入部や実験方法に類似した文章が繰り返し用いられる事は珍しくない。
Natureに掲載された論文に他の論文からの文章コピーが多用されるのは「かっこ悪い」が、その程度にすぎないと思える。

 また、個人により判断は異なるが、電気泳動図の切り貼りも(微妙であるが)許容範囲ではないかと思われる。最近の実験機器は画像の色調、明暗をパソコン調整できるものも多く、機器の高機能化に伴い、どこまでが調整でどこからが加工なのか、その境界があいまいである。電気泳動において「見やすい」画像の並べ替えも、電気泳動に用いた検体さえ間違いがなければ、切り貼りに気付いたものから失笑をかうであろうが論文取り下げまでには至らないと考える。
しかし、博士論文と重複した蛍光画像であるが、これは前記の2つと全く性質を異にする。論文のデータ画像を「うっかり」「間違え」て投稿することはあり得ない。これについて小保方氏の弁明を助ける言葉を私は持たない。この間違いは「間違い」では済まされない。

 理研関係者および論文共著者はこれら論文の問題点について、誰一人責任を認めていない。所属機関の上司らは部下の研究活動に対し、そして論文の共著者は執筆者の論文に対し、その内容を承知し、理解し、検討し、確認すべき責を持つが、結果的に小保方氏一人に対し責任を問う形となっている。ここで一般社会から「理研は無責任」「小保方さん可哀想」の声も聞こえるが、私はそうは思わない。上司らの監督責任よりも、正確な論文データを提出する、という当たり前すぎる行動を行えなかった当人の責任のほうがはるかに重い。

 私は理研の姿勢を支持する。

3.「研究者であることの証明」-実験ノート-

 実験ノートとは何なのか。

 小保方氏の件がきっかけで大きく注目されているが、一言でいうと実験者各個人の実験研究記録である。

 通常、学生は実験系講座に所属が決まると、講座から実験ノートの役割と書き方について説明をうける。学生も、教官も、研究員も、日々、自分が実験室でどのような実験、研究、分析活動を行い、どのような結果を得たのか、さらにどのような失敗をしたのか、つつみかくさず、正確に、詳細に、正直に、誠実にこのノートに記録するのが原則である。

 教官ごとにその扱い(講座内で無料配布か、個人で購入か、等)や保管方法(個人保管か、講座保管か、等)、記録指示内容はそれぞれ異なり、統一した形式は決められていないが、特に特許取得を意識する講座では教授の指示により記録内容が細かく決められ、講座内で厳密に保管される。

 iPS細胞の山中教授の言葉のように、研究は失敗の繰り返しのなかから成果が得られるものであり、毎日良いデータが得られるものではない。失敗の連続も珍しくない。ノートに失敗記録をつづるのは実験者に非常な苦痛であるが、書かないことは許されない。実験者は実験成果が不調の時期にはノートを通して研究活動の現状を知った上司教官から厳しい叱咤をうけて落ち込むし、成果が上がったときには舞い上がる。喜怒哀楽も含め実験ノートは実験者の研究活動のすべてであり、研究場所と研究時間、成果と失敗のすべてを記録し証明するものである。

 私の裁判において、被告である元上司の教官は私に対し「(研究者でありながら怠けており)研究活動を行っていなかった」などと私の研究者としての名誉と尊厳にかかわる事実無根の主張をしたため、私は大量の実験ノートを提出して日々の過酷な研究活動と研究成果を示した。実験ノートがなければ、私は被告教官の主張に対抗できなかったと思う。
小保方氏が理研に提出した実験ノートは2冊だという。実験ノートは個人差や研究時期

 による波はあるが、多い時には2週に1冊、そうでないときには1-2か月に1冊のペースで増えていくはずであり、この冊数の少なさは異常である。

 夢の万能細胞を得た、と成果を主張しながら、そこに至るまでの研究活動を証明する実験ノートがほんの数冊しかないという事実には、呆れ果てて言葉も出ない。研究者であるはずの小保方氏だが、その「研究活動」を証明する物は無いに等しい。

4.研究の成果と研究者の資質 -STAP細胞はあるのか?-

 そもそもSTAP細胞はあるのか、ないのか。これは最も大きな疑問である。

 私はSTAP細胞(あるいはSTAP現象)は存在してもおかしくないと考える。

 細いピペットを使用すると培養細胞の増殖率に上昇傾向が示される場合があること、ストレスを与えると活性が増す場合があること、数値的なデータを記録したわけではないが、実験室で培養細胞操作を地道に繰り返した経験のある者であれば大なり小なり感じることがあると思う。そこを追求し詳細な検討を行えば、刺激惹起性多能性獲得細胞に到達した可能性があることは否定できない。

 大きな声で語られることはないが、研究の成果の大きさとその研究を行った研究者の能力、資質の間には必ずしも関連性はない。極端に言えば、怠け者の研究者でも、大きな研究成果を挙げる機会、可能性はあるのである。

 身近なところで実際にあった話だが、実験者が培養物の維持操作をさぼって放置したところ、瀕死状態になったその培養物から、得ることが不可能と言われていた新たな培養組織が形成されたことがあった。もしこの実験者が勤勉でまめに維持操作を行っていれば「不可能」は「不可能」のままであっただろう。さぼった、という研究者としてはネガティブなはずの行動も、大きな成果をあげる行為の一つになるのである。

 論文データが間違いであっても、実験ノートがほんの数冊であっても、既に歴史的に大きな発見がなされている可能性は十分にある。

5.まとめ

 小保方氏本人による記者会見以降、氏への同情の気運が盛り上がっていると思われるが、元研究員である私は、氏の主張に賛同できない事を以上に述べた。

 もし小保方氏が実験ノートに日々の研究活動およびデータを記録し、保管し(研究活動期間を考慮すれば数十冊に上る筈である)、Nature論文上の問題点も本文のうち実験方法の文章のコピー&ペースト程度であったなら、私は理研およびNature論文共同執筆者の責任感のなさに憤り、いてもたってもいられずに氏の応援を始めたかもしれない。しかし、今の私にその考えはない。私には小保方氏が「研究者」であるとは思えない。

 現在、STAP細胞作製については小保方氏の手を離れたところで可能性が検討されているようである。STAP細胞はあるのか、ないのか。結論が出たときに理研は、小保方氏の弁護団はどのような行動を選ぶのか。その行方は非常に興味深い。
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