新世紀ユニオン発行のニュース

続・日本の林業に未来はない!

 前の投稿では行政の在り方が林業の発展につながらないことを指摘した。今回は別の側面から問題を提示したい。

 現在の日本の林業の問題として後継者不足が叫ばれている。では、本当に後継者は不足しているのであろうか。ここでは大学教育を考えてみる。

 大学での林業の教育は、林学・森林科学あるいは環境科学(地球環境科学という大仰な名称もある)の名のついた学部・学科で行われている。以前なら造林や育林といった林業の本分となる教育を第一に進められていたが、現在ではこうした教育はわきへ追いやられていると言える。その理由はやはり国産材が売れないためである。本来なら木材生産が林業の第一であるが、産業として成り立たなくなったために教育内容も変わってしまった。もちろん、測量やGPSといった技術の習得教育は造林に役立つものであり、林業をないがしろにしてはいない。しかし、長年培ってきた造林技術よりもそうした技術が重用されているのはいささか問題があると思われる。

 造林や育林は重要な学問分野であるが、結果が出るのに時間がかかるのも問題である。近年、国公立大学が法人化したために短期的に成果を上げることが求められるようになった。このため、時間のかかる研究分野は避けられるようになったとも言える。動植物や昆虫の生態調査といった分野も林学の中にはあるが、こちらは出てきた結果に後付けで価値をつけることができる。例えば、何年かかけて植生の変遷を調べているうちに、松枯れやナラ枯れのような劇的な生態変化が観察されれば、単なる植生調査ではなく松枯れやナラ枯れの被害研究へと変更できる。しかし、造林学として研究を進めると、よい木材が生産されなければ失敗となる。それは植林や育林の技術や計画に問題があってもダメだし、台風や大雪の被害にあっても無になってしまう。つまり、結論がひとつだけであり、変わり身が効きにくい研究分野であるため避けられていると言える。

 では、大学における林学教育は何を取り扱っているのか。森林の動植物・昆虫の生態調査とか植生調査、あるいは交配試験による優良品種の樹木の育種などは、新聞にも取り上げられているので目にする機会があるだろう。また一方で、土砂災害の調査や森林が都市環境に及ぼす影響といった調査もある。非常に有用な研究を行っている。しかし、少し考えてみると、果たして林業という産業の発展・再生につながる研究なのかという疑問もある。

 一時期、京都議定書を大々的に取り上げて森林の価値を高らかに謳いあげ、公益機能を強調していた大学の研究者も少なくない。前稿でも書いたが公益機能を強調しても第一次産業としての林業の発展にはつながらない。では、なぜ大学の研究者が公益機能を強調するのか?その答えの一つは、大学の林学関係の研究者には行政の研究所出身者が多いということが挙げられる。つまり、国の行政管轄の林野庁や森林総合研究所や各都道府県の林業関係の研究所から、大学教員となった研究者が少なくない。そうした研究者は、行政が何を求めているのかを察知するのが早く、またそれに疑問を持たずに研究課題を作っていく。また別の研究者は、行政の意向に従うことで気に入られようとする。そうすることにより、行政の外部委員として選任されたり、研究費を割り当てられたり、地方の名士となったり、また結果として自らの出世にもつながる。

 行政に盲目的に服従する教員や行政の意向に疑問を持たない教員、果ては自らの利権のために行政に従う教員によって、行政の思惑が大学の研究課題となっていく。それが「森林の公益的機能の活用」とか「地球環境の保全」とか「農林業の第6次産業化」であったりする。表現が悪いが、官学連携研究と言うより官学癒着研究と言うべきであろう。その証拠に、京都議定書が失策であったことはもはや明白なのであるが、それを明言する大学の研究者は見当たらない。批判を発することは、行政を批判することになるからである。大学は行政の言いなりになっている。

 余計な話であるが、自然環境活動を行っている人が林業系の大学教員の公募に挑戦するのは避けた方がいい。自分の活動が行政の方針に則していない人はまず採用されない。どれほど研究成果があって著書も書いていても、反体制的な主張をしている人は歯牙にもかからない。大学教員採用は学閥やコネが横行しているが、林学に関してはもっとたちが悪い官学癒着の“林業ムラ”が成立している。 さて、行政の意向に沿った教員の下で研究課題を与えられた学生は、行政のやり方になじんでいき、国家公務員あるいは地方公務員となっていく。学生にとっては公務員になれるので幸せであろう。結果として、大学の林学教育は公務員を育てる、ひいてはお国のために働く人間を養成していることになる。現場で働く林業家を育てているわけではない。その一方で、行政の意向に染まることができなかった学生は林業から離れていくことになる。残念ながら、行政教育ともいえる林学教育からドロップアウトした学生は、他の分野へのつぶしが効かない。結局理系でありながら卒業後は、文系一般職への就職の道を辿るしかなくなる。つまり、林業を学ぶ大学が多いが、実際にはかなりの割合の卒業生が林業から離れている。

 残念ながら、学問としての林学は、他の一次産業である農学や水産学、畜産学に比べてレベルが低いのもその原因の一つであろう。農学や水産学、畜産学では、バイオテクノロジーの発展もあり、古い頭で考えるよりもはるかに最先端の研究・教育が行われている。林学では、対象となる樹木の生長が遅いため、バイオ技術はそれほど重要視されておらず、また体制が古いため変わろうとせず、学問・科学としての発展は遅れている。“バイオマス”という言葉も聞いたことがあるかもしれない。これは“バイオ”という語が入っているがバイオテクノロジーではなく、使えない木材(間伐材など)あるいは木材の端切れやおが屑を資源として活用しようとするため、新たな林産廃棄物利用として叫ばれている言葉である。しかし、実際には木材をバイオマスとして利用するには、今まで以上に石油や天然ガスが必要となり、とても採算が取れない。それにもかかわらず、行政が推進しており研究費を出しているために、大学の研究者は林学以外の分野も含めて乗っかっている。法人化の弊害と言える。

 ただし、東大や京大といった大規模な組織を持つ大学では、純粋に学問としてレベルの高い研究も行われている。組織に余裕があると、教員数が多く様々な研究分野があるだけではなく、大学の中で研究に打ち込んできた人材が豊富であり、行政に振り回されない研究者が少なくないからである。ただし、こうした人材が社会の役に立つ研究をするかと言えばそうでもなく、象牙の塔の住人のように知的好奇心を満たすために研究をしている場合もある。大学の在り方を考えれば正しいのだが、はた目からは、林業ひいては社会的には役立たないとみられることが多い。しかしこれは、世間の林学に対する評価が行政主導の価値観で支配されているからだと思えば、学術的に優れた研究を果たしていることは胸を張るべきである。

 このように、現在の大学の林学教育は林業の再生につながっていない。結局、これは行政の紐付きだからである。林業が産業ではなくなり、民間企業や林業家が林業を見放しつつある中で、行政は何とか持ちこたえようと努力しているのはわかる。しかし、その方策は産業化へ向けた正しい方向を向いているかについては疑問が持たれる。そもそも林野庁や環境省だけで解決できる問題ではないことはわかっているはずである。他の省庁も抱き込んで方針を見据えていかなければならない。そのためには、大学の教育も林野庁や環境省の傘の下で安穏としているだけではなく、他の分野との連携も必要であろう(と言っても、農学とは連携しやすい(=アグロフォレストリー)が、水産学や畜産学とは連携が難しいかもしれない)。また現在のように悪い意味での専門バカを育成する教育だけではなく、他の分野の教育も施し、グローバル化へ向けて他分野を含めた広い知識とそれらを連携・活用できる能力を持つように教育していく必要があるだろう。そうすれば自ずと、林業を推進し木材資源を活用し、さらには環境への貢献もできる人材が育つ。

 忘れてはいけないのは、林学は樹木を対象とした植物学から造林技術、さらには木材加工や建築学、治水・砂防、環境科学を含めた総合科学だということである。科学である以上、行政の文系的な思惑だけではなく、それを実現する理系としての教育を忘れてはならない。それが達成できれば、人材は豊富に生まれてくるはずである。
スポンサーサイト
!!ここに掲載の広告は 当ユニオンとは一切関係ありません!!
コメント
コメントの投稿
管理者にだけ表示を許可する
 ブックマークこのエントリをはてなブックマークに登録 このエントリを del.icio.us に登録 このエントリをlivedoorクリップに登録 この記事をPOOKMARKに登録する このエントリをSaafブックマークへ追加 newsing it!

プロフィール

ユニオンニュース

Author:ユニオンニュース



一人でも入れる労働組合「新世紀ユニオン」が発行するニュースのサイトです。

新世紀ユニオンの組合費、拠出金等に関する高等裁判所の判決文を掲載しました。 拠出金高裁判決

検索フォーム
アーカイブ

カテゴリ

最新コメント
最新トラックバック
RSSリンクの表示
リンク
ブロとも申請フォーム

この人とブロともになる

QRコード
QRコード
  1. 無料アクセス解析