大和大学からの投稿 (2) 大和大学は2014年4月開学して、1年半が経った。新設大学ということで、教員は「こういう大学にしていこう」、学生は「1期生として、先輩がいない不安はあるが、自分たちが基礎を築いていこう」と、それなりの意気込みで、開学に臨んだはずだった。
○大学は、言うまでもなく最高学府である。小中を経てほぼ義務教育化した高校を卒業し、いよいよ自分の進路を念頭において、進学する学部・学科を選択して入学してきた学生。大和大学は二つの学部で発足した。一つは、教育学部であり、もう一つは保健医療学部である。それぞれ将来就こうとする「仕事」には、採用試験や国家試験を突破しなくてはならない。
そうしたはっきりした目標をもって入学してくる学生を、どのように迎え入れるか、当然学長はじめ学部教員は早い時期からあつまり、「どのような理念・目標を掲げた大学にしていくか」の検討協議から始まると考えるのが、一般の「新設大学」では当然である。
今の日本社会にとって「学校教員」「看護師・理学療法士・作業療法士・言語聴覚士」は、不可欠な職種であることは言うまでもない。そうした職種に将来就くことになる学生をどう支えていくか、真剣な議論を通じての対策が必要であることは言を俟たない。
○大学設置については、かなりの長期の見通しをもって計画し、設置案を文部科学省に提出し、審査を受けることになる。
採用する教員も、文科省の担当部署から依頼された人によって審査を受け、合格しなければいけない。いっぺんに必要な教員が採用とはいかないこともある。現に、申請した教員が業績面で不十分であると審査に合格しない場合もあり、また差し替えて別の人を申請するという手続きがいる。
そうした経過をたどって開学に備えていくのだが、全教員が決まらない段階であっても認証を受けた教員が必要に応じて、上に書いたように「どんな大学をめざすのか、たくさんある大学の中で、とりわけ大和大学はどういう理念、目標を掲げていき、大学の特色を打ち出していくのか」を、議論する場が必要であることは言うまでもない。
○そういった大学設置に、大和大学の場合、西大和学園の中学・高校の教員だけで準備にあたり、「大学とはどういう場所であり、どのような条件を備えていないといけないか」を知らない人たちばかりで進められた。
そのため、4年間必要な教科をどの順序で学生が履修していくかを表す「カリキュラム」が、まったく素人の考えで決められ、前期は相当の空き時間があったが、後期になるとぎゅうぎゅう詰めの時間割となり、学生が音を上げる、教員も5時限まで授業があると終了が6時となる。出席表を整理などしていると、優に7時を過ぎる。教員室には誰もいない。その他、いろいろと問題が続出することになっていったのだ。
○それなのに、「学問研究の時間保障」よりは「採用試験に9割合格させる」「そのため週テストを毎週土曜日に実施する」「教員は毎朝8時45分に来て、朝礼をする」といったことがいつの間にか決まっていて、教員の意向はいっさい聞き入れることがない、それが1年半前の出発時点の状態であった。
○学部の責任をになうはずの人が、「教育のためには研究が不可欠」ということが理解できない。「研究なくして大学の大切な使命の一つである社会的貢献も行えない」「社会貢献のために特別支援の公開講座をしたいと企画しても受け入れない(初年度)」と、教員のやる気を落としてしまう。
3年次から始まる「ゼミ→卒業研究Ⅰ→卒業研究Ⅱ」という、学生がたどるべき学修のことが分かっていない。また、各種「実習」が重なってどれほど学生が大変かに頭が働かず、当初から決めていた吹田市の小中学校に1回生から赴かせる「ヤマトプラン」を先行させ、2回生になって「介護等体験」があってもヤマトプランを続けて実施し、本来いちばん大事な「授業」を欠席せざるを得ない。
結果、「授業の公欠」が多くなり、抜けた授業の補いが学生にとってどれほど負担となっていても、それは学生がやるべきこととして責任ある対処をしようとしない。
○それもこれも、「大学とはこういうところだ」ということが理解できていない人たちばかりで運営しているために起こってきたことである。しかも、そのことに「学長」という立場の人が、まったく関与していない。(イヤ、「そんな金のかかることはしなくていい」と、関与しすぎているのかも知れない)。どんなに重要なことであるかが「学長」自身理解できない、あるいは理解する必要がないと思っているとしか考えられない。
1年半経つのに保健医療学部は「教授会」が一度も開かれていない、教育学部は教員の声に押されて開学から4カ月たってようやく開かれるようになったが、「学長」は一度も出席しない。出席要請が出されても、「学部長」にまかせている、その一点ばりで通している。これで学長といえるだろうか。
それに、「1年経てば大学の収支を保証人(保護者)に示し理解と協力を求める」「そのための場でもある《後援会》をつくる」―これが実行されていない、1年半経つも作ろうとしない。
すべては内密にことを進める「隠ぺい体質」がもたらす弊害であると、くくることができよう。
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司法もさ、初めから権力側(大学側)のための、結論ありきの判決や和解しかしないし。
今の世の中、どの業界も不正や隠蔽だらけなのは、大学にテツガクも理念も何もなく、人材を輩出しているからだろうな。
大学は必要なのかねぇ?
金儲け第一なので先生たちの意見を取り上げられないのでしょう。
こんな経営をしていたら学生にそっぽを向かれます。つまり倒産確実です。
学生が気の毒だわな。
これでは学生が集まらないのではないですか?逃げ出す先生たちはそこまで見通したのでしょう。
残った先生たちも早めに逃げた方がいいです。せっかく先生たちが教授会でいい大学にしようと発言しても、理事長や学長が聞く耳を持たないなら、社会に公表する以外ないです。
設備もないのに新学部を作るのも、文科省が許可しますか?理解出来ないですね。
まさか偽装大学とは思わなかったでしょう。大和大学のパンフレットには自民党の政治家がずらりと並んでいるのですから、だれであれ信用します。
儲け主義で先生たちを騙してパートでこき使い、独裁経営では学問の自由もなければ、民主もなし、これで政経学部ができたら学舎がたらず、教室を一日何回も入れ替えで授業をするのですか?
これでは、教授会の疑問にも答えられないでしょう。
大和大学の理事長・学長は教員や学生にどのような大学を作りたいのか説明すべきです。
教員が1年で10数人も諦めて辞めるのは異常です。文科省はキチンと調査すべきです。
日本の大学は多くがハチャメチャですからその象徴的大学ですね。
出鱈目をやりながら、聞く耳を持たないアホ指導者の下で働くことほど空しいものはありません。
だけど学生のために、教育者として最後の手段で世論に訴えたその気持ちわかります。
多くの市民が支持しています。それを信じて闘いを続けて下さい!
大和大学は反省して下さい!市民は見ていますョ!!
政治家の力で今後倒産した大学の跡地を狙っているのでは、というネット上での声に、なにかしら真実味を感じる。
仮の姿だから、いい加減でもいい、文句を言うな、そんな大学側の姿勢が浮かび上がる。
政治家と結託した学校事業家が悪事を計画しているように見える。その犠牲が、先生たちと学生である。
吾輩の目にはそう見える。
何ことか悪事を狙っているように素人目にも見えますね。
自民党の政治家がたくさん顔を並べているというのがあやしいです。
教授会を嫌がり、無視する。なぜそんなことが必要なのか、裏に何かが隠れているからです。
大和大学の先生たちの声を役立てようとしない異常さの背後に隠されているものがあるように思えます。
ですから最高学府・学問の府と考えてはいけない時代なのかもしれませんね。金のためなら何でもやるという連中が経営しているのです。
先生たちを騙してパート教授やパート准教授を事務員並みの仕事をさせ、学生達にしわ寄せさせるのも「甘い汁」を吸うためです。
多くの先生たちが見切りをつけるには、それなりの理由があるということです。